それ以上でも、それ以下でもない
ようやく、長文を書けるくらいには回復してきたので書いてみるw
最近、ネットで拾った、ちょっと泣けた話。
http://blog.excite.co.jp/ikimono-yoshiki/8028911/
http://blog.excite.co.jp/ikimono-yoshiki/8045893/
リンク先は、「いきものがかり」のリーダーの水野良樹さんのブログの記事です。上の記事を読んでて思ったことを書くので、ブログの記事自体は読みたい人だけどうぞ。
綴られているのは、彼が大学受験で志望校に合格できなくて、違う大学に進学したけど、どうしてもあきらめられなくて、違う大学に通いながら志望校を目指した(いわゆる仮面浪人)時のエピソードです。
予備校の受講料を稼ぐために、朝4時に起きて早朝はバイト、その後、大学で講義を受けて、終わった後は予備校の授業、家に帰った後、夜中の1,2時までまた勉強、そして次の日はまた朝4時に起床という生活を送っていたそうです。
当然、通っている大学の同級生に違う大学を目指しているなどと言えるはずもない。予備校は、一部の講義をとっているだけなので、予備校の生徒とも仲良くなれるわけでもない孤独な日々。
合格するという自信もなく、頑張れなくてさぼってしまうときも。自分は何をしているんだろうと、時としてくじけそうになる。そんな生活を1年近く続けてやがて冬。
受験の日が近づいて、もし不合格になったら1年の努力が無駄になる、そんなある日に、予備校の講師が会報に寄せたひとことにいたく感動したとのこと。
「人間は努力した分だけ幸福になれる。それ以上でも、それ以下でもない。」
後段の「それ以上でも、それ以下でもない。」という部分に。
人間、努力したからと言って、夢が叶うわけでは決してない。でも、努力に見合う何かは得ることができるのだと。そして、たとえ合格できなくても努力がすべて無駄になるわけではなくて、何かを得ることができるのだと、救われた感じがしたとのことです。
この記事を読んですごく深いなあと思った。
自分に置き換えてみると、小学生の時、みんなが遊んでる時に、学校が終わった後、よく遅くまで塾に通って勉強してたことも、大学受験の時に、ストレスで体調崩すくらいに必死に勉強したことも、まあ、無駄にはなってないと思う。
少なくとも、学業に関しては、世の中の大多数の人間より努力したと胸を張って言えます。まあ、努力した結果、叶ったことも叶わなかったこともあるけど、「それ以上でも、それ以下でもない」と納得できます。
最近、ニュースになる度に引っかかっていることがあります。
突然の不景気に見舞われた製造業を中心に起こっている派遣切りの問題。
ニュースを見る度に、突然、仕事を失うってのは大変だろうなとひとごとながら思う。だけど、どうも自分に当てはめて考えることができないというか、同情的な感情は起こらないのです。
もちろん法律とかシステムとかに問題があるとは思うし、どう雇用を創出するのか、あるいはセーフティーネットをどう広げているのかということに真剣に取り組むべきだと思う。
だけど、この大半とは言えないけど、半数くらいの人は、今までの努力に見合う、「それ以上でも、それ以下でもない」結果を得ているだけじゃないのかという気もするのです。
別に一生懸命生きている彼らを批判するつもりはまるでありません。でも、もし自分が同じ立場なら、自分が十分努力してきたのかを自問自答するなとは思う。
で、今の自分に当てはめてみると、漫然と生きているだけでろくに努力もしてないなって気がする。だから、努力をしていないだけの、「それ以上でも、それ以下でもない」結果を今得てるのかなあ・・・
だから、もう一度、自分を見つめなおして、努力しただけの幸福を「それ以上でも、それ以下でもない」だけ手に入れてみようかとふと思い直してみた週末の夜。