それでも地球は回っている

僕が、モーニング娘。のライブに初めて行ったのは2000年の秋だった。4期メンバーはまだ入ったばかりで、まだ目立ってなくて、中澤も後藤もメンバーの一人として活躍していた頃。よく考えると、それから、2年半も経つんだなあとふとそんなことを思う。

昨日、久々にモーニング娘。のライブに行ってきた。娘。のライブにいくのは実に一年ぶり、去年の春のツアー以来だ。厳密に言うと、ミュージカルを見に行ったり、ハロプロライブで生で見ているので一年ぶりというほどブランクが空いていているわけではない。

とはいえ、やっぱり、一年ぶりということには変わりない。前回、見に行ったのも同じく春のツアー。ニューアルバムをひっさげてのツアーだ。ニューアルバムが発売されたばかりという点で、シチュエーションは今回と似ている。

ただ、後藤がいなかったり、保田の卒業やら、分割やら、6期メン合流やらいろんなイベントが控えていたりと周りを取り巻く状況は変わっている。

そういう前回との違いもあって、久々に迎えるライブを前にして、僕は、期待半分、不安半分そんな心境だった。

ふたを開けてみると、いつもと変わらない姿がそこにあった。これがモーニング娘。のライブなのだとそういう印象を持った。言うまでもなく周りを取り巻く状況は劇的に変化しているのだけど、ああ、そうだ、娘。のライブってこういうのだったんだとうすれていた記憶が少しずつ蘇ってくるそんな感覚を覚えた。

とはいえ、やっぱり、違和感もある。それは、後藤真希の不在。ラブマの発売あたりから娘。という存在に徐々に入り込んでいった僕にとって、彼女の存在はモーニング娘。そのものとも言える存在。彼女の喪失感は大きい。彼女の歌っているパートを誰かが代わりに歌っている姿を見ると、やはり強い違和感を覚えてしまう。

そのことは、誰かがいなくなるたびに幾度となく経験してきたことなのだが、その存在の大きさが大きさだけに、より強く感じられてしまう。ああ、もう彼女がそこにはいないと。

もっとも、今回のツアーの場合、最近の曲が多いため、そういう感覚を覚える場面は案外少ない。最近、作られた現在のメンバーによる楽曲もやはりモーニング娘。そのものであり、それはそれで完成されたものだ。

ライブを見ているうちに自然と、不在感は薄れていった。もちろん完全に消え去ることはないのだが・・・。どこまでいっても、モーニング娘。の楽曲はモーニング娘。の楽曲。それは、モーニング娘。が歌う限りにおいて、モーニング娘。の曲なのだと思えてきた。

ちょっと、言葉では表現しがたい不思議な感覚。なにがモーニング娘。でなにがモーニング娘。でないのか・・・。保田が卒業したとしてもそれは失われないような気がする。常々持ち続けていた願望、このメンバーのまま固定でずっとやっていって欲しいという願望、それはきっと叶うことはないのだろう。

でも、そこにモーニング娘。はあって、彼女たちは、歌い踊る。

ただ、今は、「これからもモーニング娘。保田圭をよろしくお願いします」と言った一人のメンバーの言葉を受け取るしかないのだとそう思っている。

今日の腹筋/腕立て/背筋/スクワット:0/0/0/0回