ウォーゲーム

ゲームは終わった

イラク情勢がいよいよ緊迫してきたようで、アメリカは武力行使も辞さずの構えのようだ。1991年の湾岸戦争から10年あまりの歳月を経て、当時のジョージ・ブッシュ大統領の息子ジョージ・W・ブッシュは奇しくも大統領として戦争に踏み切ろうとしている。

湾岸戦争当時、テレビ画面に映し出される爆撃の映像はテレビゲームのようだと言われた。当然、それはゲームではなく多くの尊い人の命が失われた。今、それが再び繰り返されようとしているのだ。

イラクが核開発を行っているとするなら非難されるべきであり、国際社会の制裁をうけるのは当然だ。ただ、ゲームという言葉には違和感を覚えてしまう。

外交の駆け引きゲームが終われば、次は戦争のゲームだ。そんな響きに聞こえてしまうのだ。

テレビゲームのリセットすればすぐにやり直せるという性質について疑問が投げかけられてきた。テレビゲームにのめり込みすぎるとリセットすれば、死んでもよみがえるがゆえにリアルとバーチャルの区別がつかなくなって、生命に対する尊厳の感覚が薄れるなどと行った形の文脈でだ。

テレビゲームが原因かはともかく、たしかにそういう生命の尊厳というものがないがしろにされた形での犯罪は増えているように思う。いまや、ネットの中にも巨大なコミュニティができあがりますます現実とバーチャルな空間の区別がつかなくなってきている。

気がつけば、犯罪だけに限らず、あらゆる社会活動がゲームのように簡単に行われている。そう感じてしまうのだ。そういう感覚がさらに広まって、国際政治の世界にも浸透してきている気さえする。

個人の人生も世界の歴史もリセットは効かない。だから、僕は、ゲームは始まりもしないし、終わりもしない、そうあることを望んでいる。

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