「A Song for ××」

「あゆ」の歌詞も国語の教材に 全教集会で報告

上のリンクの記事は、2,3日前の朝日新聞に掲載されたのもので、中学の国語の授業で題材として浜崎あゆみの歌の歌詞を取り上げたとの報告が教育研究全国集会でなされたという記事でなんということはないのだが、一つの試みとしてありだなと思う。

僕は、浜崎あゆみという歌手が好きだ。いや、最近はあまりそうではないので、好きだったという表現の方が適切かもしれないが・・・。

彼女はコギャルのカリスマなどと言われ、圧倒的な支持を受けている。今も、高いセールスを誇り、その勢いは失われていない。彼女が、支持された理由の一つにその歌詞の世界に共感した人が多かったことがあげられる。

まわりにファンがいるわけではないので、実際どうなのかはわからない。おそらくそれは間違っていないと思う。確かに彼女の歌詞の世界は独特で、単純な言葉が使われているのにすごく深い、そんなところがある。単純という例にはふさわしくないが、彼女の歌詞には英語は全く使われていないあたりも特徴的なところだと思う。すべてが日本語のわかりやすい言葉で書かれている。

にもかかわらず、彼女の歌詞は、すごく解釈を要求するそんな歌詞だ。特に初期の彼女の歌詞は、心象風景が深く切り取られていてすごく強いメッセージ性を持っていた。そして、聴いている者の心にずっしりとくるそういう重さがあった。

それが、リスナー、特にコギャルと呼ばれる人たちの共感を呼び、今の人気につながったのだと思う。楽曲には歌詞と曲、二つの要素があるが、どうしても音楽という言葉からも音が重要視されがちで、歌詞には目が向かないことが多い。

でも、実際には、広く支持される楽曲は歌詞の内容も優れていることが多い。また、歌詞の内容が評価される場合も多々ある。歌詞と曲がセットになってこそなのである。「もっと歌詞の内容まで深く目を向けてみよう。」彼女は、聴くたびに僕にそんな風に思わせてくれる歌手だ。

今日の腹筋/腕立て/背筋/スクワット:30/0/0/0回