憂鬱

なんだか知らないけど憂鬱な時はあるもので、どうも気分が優れず何もする気が起こらないときがある。だから、せっかくの休日だというのに、あいも変わらずテレビばっかり見ている。昨日もそんな感じの一日だった。
僕の好きな番組の一つに「情熱大陸」という番組がある。各界の第一線で活躍する人たちの姿を取り上げるドキュメントタッチの番組だ。昨日は、SMAP草なぎ剛(便宜上、「なぎ」はひらがな表記にします)が出演していた。
ハードなスケジュールの毎日を過ごす彼の素顔が映し出される。活動範囲もドラマ、音楽、バラエティーと多彩だ。そして、どの分野でも一流の存在。それは彼に限らず、SMAPのメンバー全員について言えることかもしれない。
僕は、SMAPというグループが大好きだ。それぞれのメンバーが個性を持っていろんな分野で活躍している。しかも彼らは、SMAPという看板がなくてもやっていけるくらいの実力を持っているし、実際、個々のメンバーが世間から認知されている。普段は、ほとんど個人で活動していて全員集まって活動する機会はあまりない。しかし、ひとたび集まって活動するときはグループとしてひときわ輝きをもった姿を僕たちの前に見せてくれる。
個人での活動が集団での活動をよりよいものとし、逆に集団での活動が個人での活動をよりよいものとする。そんな有機的な関係が見事に成立している。そんな彼らの姿は、グループとしての一つの理想型とも言えるだろう。
モーニング娘。の将来の理想像について語るときに、一つの理想型としてSMAPというグループがしばしば用いられてきた。しかし、モーニング娘。は、決してSMAPのようなグループになることはできないと思う。
彼女たちは、どこまで行ってもモーニング娘。の○○でしかない。メンバー個人の名前が世間一般に浸透しているとはとてもいえないのが実情だ。ファンの間で認知される個性も世間一般ではモーニング娘。というひとつの記号に過ぎないのだ。
いやむしろ、モーニング娘。という記号の方に意味がある。そこにおけるメンバーは無名の誰かに過ぎない。彼女たちひとりひとりは交換可能なひとつのパーツでしかない。それがグループとしての一体感を生み出し、全体のパフォーマンスの魅力を高めているのだ。
彼女たちの唯一の例外は後藤真希だった。個人の名前が世間一般に浸透し、交換可能なパーツを超えた存在だった。彼女の存在は、無名の集団の中にアクセントを与えグループとしてのパワーの源になっていた。彼女がもたらす化学反応が国民的なグループとしての今のモーニング娘。を生み出したのだ。しかし、彼女が抜けた今、モーニング娘。は完全に無名な存在の集合でしかなく、その勢いは失われつつある。
そして、突然起きた藤本美貴の加入劇。それは、アクセントを失ったグループに新しい化学反応を起こすための方策のように思う。しかし、あまりにそれは弱い。紅白に出たとはいえ、世間の認知度は低い彼女が加入しても効果は薄いだろう。
個人的には、どんな反応が起きるのか見てみたいと思っている。でもそれは、ファンの間の中の関心事に過ぎない。所詮は狭いコップの中の出来事。コップの水面が揺れただけのこと。もちろん、奇跡的な爆発を期待しないわけでないが・・・。
唯一有効なカードは松浦亜弥の一枚だけだったように思う。でもそんなことができるわけはない。もはや彼女はモーニング娘。以上に事務所にとって重要な存在のはずである。
松浦亜弥というカードが切れない以上、今のところとりうる策はない。ただ、このまま下り坂を降りていく彼女たちの姿を見つめていくしかないのか、そう思うと僕は一抹の寂しさを感じてしまう。
今日の腹筋/腕立て/背筋/スクワット:0/0/0/0回