そして誰もいなくなった

後藤真希脱退後初のシングル「ここにいるぜぇ!」。後藤真希脱退後の最初の曲ということで、彼女の脱退の影響はどうなのかに着目して見てみたのですが、とくに不在は感じさせなかった。そのパフォーマンスは彼女の不在を感じさせないものでした。

テレビ画面に収まりきらないスケールで、躍動感にあふれるダンスと歌を見せてくれる彼女たちの姿はこれがモーニング娘。だと実感させてくれる内容でした。

相変わらず、安倍さんは素晴らしいし、高橋愛ちゃんも軸として頑張っている。辻ちゃんが意外な存在感を発揮していたり、小川さんの顔がインパクトあったり、ポイントポイントで彼女たちの変わらないいや成長した姿を見ることができたように思います。

でも、なにか、足りないものをそこに感じました。確かに後藤真希さんの不在は感じなかった。でも、それは不在を感じさせないほど素晴らしいパフォーマンスだったからではなく、そこには誰も存在しなかったのではないかと感じてしまったのです。

すなわち、踊っているのが誰も知らない誰かであっても構わないのではという疑念です。もちろん彼女たちはモーニング娘。の誰かに他ならない。でも、その場において、彼女たちはモーニング娘。のメンバーの誰かであって、安倍なつみでも飯田圭織でもいや他の誰でもない。もはやそこには誰も存在していないのです。

彼女たちのパフォーマンスはメンバーの一人が欠けても成立しないものだと思います。でも、彼女たちのパフォーマンスを見る上で、その一人一人が誰かであるかを意識する必要はないのではないかと思うのです。

彼女たち一人一人は、それぞれが個性的な存在です。しかし、モーニング娘。のパフォーマンスの中では、必要以上の個の意識はかえってそのパフォーマンスを楽しむ上での障害となってしまう。個が際だちすぎることは、その集団としてのパフォーマンスの完成度を下げることになるのです。

そんなモーニング娘。のなかで唯一の例外として必要以上に個を意識させる存在だったのが後藤真希でした。彼女は、モーニング娘。という記号以上に”ゴマキ”という記号で認知される存在でした。

彼女のパフォーマンスの素晴らしさ、その存在感は、他のメンバーと比べても際だっていました。意識していなくてもその存在を意識させられるようなそんな存在でした。

しかし、「ここにいるぜぇ!」のような曲において、そのような個への意識は、パフォーマンスを見る上での障害となるかもしれない。それは集団としてのモーニング娘。であるがゆえに実現可能な曲だからです。とするなら、この曲は彼女の卒業をもって初めて実現したと言えるのではないでしょうか。

それぞれの個性がぶつかりあい高いパフォーマンスを表現する、しかし、必要以上にその個は前に出ることなく、一つの集団として一体となったパフォーマンスを見せる。そこにおいて、誰が誰ということは無意味であって、モーニング娘。だけがそこに存在して、一体となったパフォーマンスを見せる。

そんなモーニング娘。の存在とは何かを示した曲こそが「ここにいるぜぇ!」であり、それはモーニング娘。が新しい段階に入ったことを示す一曲なのです。そして、もはやそこには誰も存在しないのだという考えを筆者は抱いているのです。

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