喪失
明日、明後日と飯田圭織のモーニング娘。としてのラストを見届けに横浜に行って来ます。
結局、今冬のハロコンはまだ一度も見ていないのでその面でも楽しみではあります。分割ハロコンとは違って、卒業企画ということで多少おもむきも異なるのでしょうが。
ハロコン自体への興味というのは最近ちょっと薄れ気味。卒コンというスペシャリティがなければ今回足を運ぶことはなかったのだろうと思います。
そう、やはり語るべきは飯田圭織の卒業です。
最後のオリジナルメンバーというありきたりの形容で語るのは適当ではないかも知れません。でもやはりそれは避けては通れないテーマなのだと思います。主要なメンバーの卒業を幾度となく経験してきたモーニング娘。というグループだけど、この卒業の意味合いはやはり今までとは違っている気がします。
誰かが卒業していくたびにモーニング娘。というグループは変わってきました。だけど、少なくとも僕の目に映るモーニング娘。というグループの本質は変わらなかった。
だから、ずっと見続けてることができたのです。
だけど、今回の卒業はやはりちょっと違うような気がします。単に一メンバーの卒業ということでは片づけられないような気がするのです。オリジナルメンバーの喪失。それは、モーニング娘。というグループの誕生の歴史を封印することに他ならないように思います。
すなわち、敗者復活組が手売りという試練を乗り越えて結成されたグループという創造の歴史の封印です。
残されたメンバーはオーディションで選ばれた勝ち組達(藤本美貴はやや例外ですが)。とするなら、飯田の卒業で敗者復活組という一つのモーニング娘。を象徴するアイデンティティが失われるのです。
メンバー自身は入れ替わってもモーニング娘。を作っていた一つの基本的なアイデンティティの喪失はここ最近の卒業とはまた違うのだろうと思います。
別に、今のモーニング娘。を見る分にはそれ自体が大きな影響を及ぼすとは思えないかも知れない。だけど、僕はモーニング娘。というグループはその歴史も含めて価値のあるものだと考えています。
だから、その一つの歴史でありアイデンティティともいえる要素が失われたとき、残されたグループにどういう感情を抱くのだろうという疑問を持っているのです。
正直なところ、今のところまるで実感はない。明日以降、カウントダウンの中で徐々に実感が深まっていくのでしょう。
そして、クライマックスを迎えたときどのような感想を抱くのか今から楽しみなようでもあり不安でもあります。
まあ、そんなことはともかく、飯田自身の卒業を祝おうということが重要なことかもしれません。少なくともその場に立つ以上は精一杯卒業を見送ってあげたいなと思う。
そしてそのあとに今書いたことはゆっくり考えてみたいなと思う。
というわけで、卒業をお祝いに横浜へ行ってきます。